HOME > 2023年11月教区宣教司牧評議会 会議録

教会に赴任 ている司祭の役割というものをはっきりとさ る。信徒に任せられるものは、任 とが大切。な でも指導、指示することは権威主義を育てる。司祭は、信徒が意見を言うの 、動 とを 、待つことが大切。 司祭は、典礼や秘跡・教義の専門家と 、教会に赴任 ている。それ以外は、信徒が能動的に運 ていくのが健全な教会の姿。 教会の統合、合併にお ては、最も難しいのは財政の一本化。北見地区では財政を一本化 ている。 司祭も、世代に て思考が全く違う。 福音宣教とは、信徒を増や ことではない、献金を増や ことでもない。福音宣教の結果と くるものである。また、結果が付 いて くるとも限らない。 現在の地区の格差や現状を考 てみ ても、地区の壁を越 て支え合うためにどうすればいいかを考 る必要がある。地区の再編な 神父は、信徒から様々なこ をたずねられる立場であるが、経験や知識からな すぐに答 のではなく、信徒に「委ねる」こと 、「待つ」ことが大切である。司祭から見た司教との関わ にも同じことが言 る。 「分かち合いのテーマ」と 聖職者至上主義からの脱却、権威主義への抵抗のために必要なことは?   権威主義、聖職者至上主義とは何か、またどう てそ ような状況が生み出されるかという過去へ   の反省も必要である。 信徒が福音宣教を生きるために。   福音宣教とは何か、から分 ち合 みるのがいい。そこから未来を見据 、できることが何か   を考 る。 若者不足 、地方教会の困難につ   現状把握 、過去への反省などを踏ま 、未来を見つめるには。 宣教の新しいツ ルは何か。何ができるか。   ICT (イ ネッ SNS Zoom など)を利用した、これからの宣教につ 。何ができ   何ができないのか。 これまでの教会の歴史の中 、何が足りなかったのか?   過去の福音宣教を振り返 、反省と、未来への希望を見いだすには。 自分にできる福音宣教とは   個人的にできること、共同体と てできること、様々な場での福音宣教の道筋とは。 記:佐久間 以上 2023年11月25日 2023年11月教区宣教司牧評議会 会議録 1、各地区報告    各地区の報告書及び、「 2023 1 125 会議逐語録」をご確認ください。 2、「札幌教区内の一粒会」設置につ    2023 1 125 会議逐語録」、添付の「一粒会規約」及び「一粒会規約修正意見」をご参照くださ     い。 3、議題:「教会内の意識刷新のための分 ち合いテーマにつ て」 ! 以下の内容は、会議中に Zoom イト ード 、箇条書きにしたものをまとめたもので 。それを  そのまま共有しま <信徒の減少、司祭の減少、修道者の減少の現実にお いて 、教会の内部の意識を考 て行く必要> <司祭、信徒の意識改革に必要なこと> んなテーマ 、分 ち合いを ても うか> この教区宣司評では、その分 ち合いのテーマの絞り込みを て欲しい。 対象は、信徒、司祭、修道者も含めるべき。 スターの意見) 修道者と の生き方が大切である。 精神的な、原点に戻る。一人一人が宣教者。 修道者は、その(祈りの精神の)生き方に専念できるが、信徒には生活がかか ている。 (交わされた意見) 司教様の年頭司牧書簡の内容 、皆で考えたい。教区の歩むべき方向の指針となる。 聖職者至上主義には、信徒の責任もある。司祭を持ち上げる信徒と、またそれに乗っか 、権威 義に走 てしまう司祭。ともに意識改革が必要である。 祭が 心の 会は 、旧時 のも の。 これから 「チーム 司牧 」が当 り前 にな てい そのチームは司祭だけでなく、司祭、信徒、 スターなどが加わり、司牧方針を定 ていく。 しかし、その司祭の「チーム司牧」がとても難しいものであることも事実 、実際に仙台教区では これまで敷 てきた「チーム司牧」体制から、以前の「主任司祭」体制に戻ったという事例もある。 今回の ノドスの見解の一つと 、教会の運営方針を定 ていくには「分 ち合い」 そが相応 い。これが「権威主義」や「聖職者至上主義」への唯一の抵抗手段である。。 海外に存在する、「主任信徒」という ム。主任を任命された信徒の指導の下 、司祭・助祭 修道者が活動する。 権威的な司祭もいれば、また同様に権威的な信徒の存在もある。 信徒数が限界にな ている小教区にお いて 、その教会を閉鎖するかどうかは、教区や司祭が上から ずるように何かを決めるのではなく、信徒自身に決めさせてほしい。 教会の本来の目的・使命である、「福音宣教」がおざなりにな ている。 司祭は、特定の信徒にだけ伝わ ていればいいと思 ている面がある。 教会の空洞化が感じられる。教会の一体感の醸成が後退 ている。 負の聖職者主義。現代的な感覚からはかけ離れた、権威主義を振りかざし、その刷新を求める人を 除しないまでも、遠のかせている旧態依然の体制。 その負の聖職者主義に、幼児洗礼を受けた古い信仰ス ルを持つ信徒がむしろ居心地の良さを見 ている。その古いス ルの信徒たちが、今も教会を運営 ている。 その古い体制や考えた方に、反発を感じる新しい世代は、教会から離 ている。教会がその人 ちを排除 ているというより、むしろ教会が新しい世代から見捨 ている。 聖職者が、別の司祭が指導管理する小教区とつながるこ を嫌がり、囲い込む傾向がかつてあった その意味 、小教区 、地区の壁を超 ることは聖職者主義への反発でもある側面がある。 しかし、現在では教会の数は変わ 、司祭が激減 ているの 、一人の司祭が極 て多数の教会 司牧 ている現状があり、信徒の囲い込みなどできる状況ではない時代でもある。 司祭、信徒の高齢化、減少が問題なのではなく、そこから生じる問題が何なのかを っかりと見定 ることが大切である。 福音宣教を生きていないのではないか? 各小教区の「規約」が不統一 、福音宣教が明確ではない現実。ま 、町内会の規約 ようである。 地方の小さな小教区では、財政面の問題を多くの小教区が抱 ている。極 て近い将来の財政破綻 目に見 ている。すでに聖堂維持が難しい。 小教区の存続、維持に関 、教区がどうにか くれると思 ている。 しかし、小教区のメ タリ ィに 、それらの違いが感じられる。立ててもらった教会と、自 たちが協力 て建てた教会。 旭川地区の空知(滝川・砂川・美唄)ブロックでは、教会同士で進 ている。一例と 、3教会 同で共同墓地を建設した。信徒同士のコミュニケーションが大切であると思う。 人口減少、高齢化は、日本社会そのものが抱 ている問題なのであり、教会だけの問題ではない。 現状を っかりと見つめなお ことが必要であると思う。現実の状況と、これまでの反省を っか と見す ータを可視化し、未来を見つめなお 今の信徒は、むかしの想い出にすが ている面がある。それは司祭も同じ。「俺たちが若いころは 昔は うだった。」というのが口癖。 今抱 ている問題が、自分事にな ていない。自分が生きている間だ 、教会があればいいと思 いる節すらある。 教会のこれからを考 るとき、両面で考 て行く必要がある。それは守備的側面と、攻めの側面。 守備的側面とは、現状を見つ 、教会をどう守 ていくか。維持できない聖堂の閉堂 、教会の 合、複数教会の財政の一本化な 。攻めの課題は、司祭・修道者の召命促進と、信徒を増やすため 活動と姿勢。この両輪を っかりと持つことが大事であり、どちらかだけではいけない。 今後は IC T (イ ネット技術)を利用した福音宣教も大切なツ ルとなる。むしろ中心にな ていく。 教会の意思決定機関に若者を取り込 でいく。未来志向へ移行する。日韓司教会議での日本の青年 プレゼンテーションは素晴らしかった。 信徒中心の教会というワードは、30年以上前からあった。話題と てはむしろ古い感すらある。 れができなかったのか、行ったのに効果がなかったのかを検証する必要があるのでは? 福音宣教という言葉があいま である。それ れのス ルを磨くこと、いい話を聞くことなのか? を受け入 、自分たちを輝か ること そが福音宣教ではないか。 地域に根を張った共同体となることが、福音宣教の一つとなる。山鼻教会の子ども食堂などいい例 ある。 (この場が)司教・司祭がいる中 、自由に意見が言 る雰囲気がいい。 福音宣教は人間の手に負 るものではない。自分のできるこ を一つ一つ行うことが、 ずれ福音 教に繋が ていく、結果は神様に委ねる。 小教区の壁を越 、助け合うにはどうすればいいか。地区財政委員会を立て直 ことが必要であ と感じた。 教会に青年がいない問題につ ては、彼らが参加できることは多数や ているが、来ない現状を考 ると、情報が伝わ ていないのではないか?と思う。カトリック大会、合同墓参、地区内の合同ミ 、青年が興味を持たないだけでなく、伝 る努力も怠 ているのではないか?教会に張り紙を ておくだけでは、伝わらない。教会に来ないのだから。 高齢化というだけでなく、コロナ禍で教会に来なくてもいいというメ タリ ィが浸透 てしまっ 感じがある。 教区司祭、修道司祭の違いが信徒にわからない。典礼のやり方なども、司祭に委ねら ているの 違うときは信徒が混乱する。